雨だった。

しとしととした雨だった。それは、自らを高くしない。控えめな故人に似た静かな雨だった。

しかし、故人は確固とした教育観を持ち、朴訥(ぼくとつ)とした言葉ながらそれを堂々と主張される力強い先輩でもあった。

故山口恭弘先生は、かつて、広島市佐伯区にあった有名進学塾・山口塾の塾長で、我々同業界の後進を指導してくださった先達だ。

山口塾といえば多くの優駿を集める進学塾として有名だった。広島を支える多くの名士を輩出している。現在広島県知事を務める湯崎英彦氏や世界的な指揮者大上英治氏らも卒業生。かつてアナウンサーからフジサンケイグループの社長夫人となった卒業生・頼近美津子さんが亡くなられたときには、残念の思いを印象深く吐露された。

20年ほど前に、塾そのものは引退され、塾長職を弟の山口哲弘先生に譲られたが、先生の手を離れた山口塾はその後閉塾。しかし、退職のずっと前から彼に求められた塾業界のけん引役の仕事には、その後も携わられ、全国の多くの仲間に慕われた。河浜とは、30年前に先生ご自身から突然のお電話をいただき、お付き合いを始めると、全国の先輩方や同志に引き合わせていただき、その人脈を引き継がせていただいた。

その塾業界で、任意団体「全国私塾連盟」理事長。その後いくつかの任意団体が合併した現在の「全日本私塾教育ネットワーク」の初代理事長。(河浜は現在同団体の副理事長を務めている)そして、経済産業省認可団体「公益社団法人・全国学習塾協会」副会長として、厚い信頼に応えられた。

河浜は鞄を持たせていただきながら、全国津々浦々に赴き、教育者たちと親交を持った。そういった旅の途上で先生のお言葉を聞かせていただくことは、本当に勉強になった。

本年8月3日、心筋梗塞で突然のご逝去。夏期講習会中であったためその事実は伏せられ、近親者のみで葬儀は行われたそうだ。それは、業界の事情をよく知っておられる奥様の決断されたご配慮だった。もしも新聞紙上にでも発表すれば千人を超える縁の方々が集まられたに違いない。

そして、11月8日日曜日、改めて、ホテルでの「お別れの会」を開催した。私はこの会のすべてを取り仕切らせていただいた。企画から司会進行・その他の諸手配のすべてを、ほぼたった一人で行った。先生への感謝の意味の込めて、このお役目だけは決してだれにも渡したくなかったのだ。

そして、その日は雨だった。

司会者として泣かないことだけを心に決めて司会を務めた。すると天が泣いてくれた。涙雨だった。

改めて思う。先生から学んだことは多い。しかし、先生の生き様・お姿から学ばせて頂いた最大のものは、「教育者は一途(いちず)でないといけない。」ということ。一途に教育にまい進すること。教育に携わる者は、そうでなければならないこと。それは、それこそ教育一筋、教育と塾のほかに何の話題もお持ちにならなかった一途な教育者・山口恭弘先生の単純で渾身のお教えである。

                                                                      会長 河浜一也  合掌